丑の刻参りの歴史について
丑の刻参りと言う呪術は、実際いつ頃から存在して現在の形となっていったのかお話いていきたいと思います。
丑の刻参りとは、元々は丑の刻(午前2時~4時)に、自らの願いを叶える為大願成就を祈り神社や仏閣などに参拝し、神や仏に祈る事を指すものでした。
その願いを叶えると言う力に、人を憎む願いを祈り呪術を執り行い2つが合わさった呪法が、今日の丑の刻参り(うしのこくまいり)になっていると言われています。
丑の刻参りの元となる呪術としては古くは、奈良国立文化財研究所所蔵が考古学資料として保管している、8世紀頃・奈良時代の物とみられている人型の木製形代の胸の部分に鉄釘が打ち込まれている物があり、奈良時代の頃には既に、人型の形代に釘を打ち込む形の呪術の方法が存在していたとみられています。
その他にも同じく人型の木製形代に顔等が描かれている物に木の杭が打ち込まれている物もあり、上記の様な事から人型の形代に杭を打ち込んで呪いをかける呪術の歴史は古く、日本の歴史と共に進化していき、より強力な呪いの効果を求めた結果、現在の丑の刻参りの方法へと変化していったと思われます。
丑の刻参りが、現在の方法へと形を変えて行ったのはいつ頃かと言うと、諸説あるのですが、有名な説としては江戸時代に夫浮気に腹を立てて復讐に憑りつかれた女が、京都は貴船神社に駆け込み丑の刻参りをしたと言うお話から確立されていった説が有力です。
他には、宇治の橋姫伝説が、原型となったと言う説や、丑の刻参り(うしのときまいり)は平安時代からあり、その頃からへ静止出したと言う説などもありますが、どれも現在の形とは少し違ったりしており、現在の呪術方法としては、恐らく江戸時代のものから確立されていったと思われます。
この様に丑の刻参り自体とても古くから伝わる呪術であり、長年日本の歴史と共に進んできた呪術で、その歴史の中で、改良されて行き、今日の様な強力な呪術へとその形を変化させていったのでしょう。