憎む相手に苦しみを与える呪いとは
生きていれば、誰しも「憎い」と思う相手の一人や二人はいると思います。大抵の場合は、時間とともにその思いは風化していき、他のことに精一杯になっていくでしょう。しかし、時には心身に大きな傷をつけられ、その思いに囚われて次のことに踏み出せない場合もあります。そんなときの手段の一つとして、呪いがあります。
自身の憎しみを、そのまま相手の苦しみとして与えることのできる呪いの中で、特に簡易的な物は「邪視」でしょう。「邪視」とは元々は西洋の呪術で、「イヴィルアイ」や「邪眼」とも呼ばれる、極めてオーソドックスな呪いの一つです。
「邪視」の方法は簡単です。憎しみを込めて視線を憎む相手へ送るだけで、呪いは成立します。視線に込めた憎しみの量に応じて、相手に降りかかる苦しみが変化する呪いです。ですから、本当に殺したいほど憎んでいるのであれば、死ぬほどの苦しみが相手に降りかかりますし、中途半端な憎しみであれば、中途半端な苦しみしか与えられません。
また、憎しみの内容によって相手に与える苦しみの内容も変化してきます。例えば、相手に怪我を負わされたのであれば、同じように怪我を負わせることになります。
憎む相手に苦しみを与える呪いの方法としては、まさにうってつけと言えるでしょう。
ただし、一つ留意しておかなければならないのは、「邪視」は、行っていることが知られてしまえば、比較的防御が簡単な部類の呪いである、ということです。ですから、「邪視」を行っていることは、絶対に誰にも知られてはなりません。
憎んでいる相手に、苦しんでほしいと思ってしまうのは人の性です。その思いは誰にも責められるものではありません。ただし、相手に苦しみを与えるだけでは、自身のその後には良い影響は一切ありません。あくまでこの呪いは、次に踏み出すための一つの手順なのです。
ですので、安易に呪いに頼るのではなく、一つの手段として考えておくべきでしょう。